熊本城
念願の 熊本城に行ってきました
(50年前に復元) 今や 熊本のシンボル
たいがいの所(いきたい所)は行ってるつもりですが・・
熊本城だけは 行きたくても なかなか足を運ばなかった
大感動です
スケールが大きい(姫路城・大阪城以来感動です)
西南戦争(日本で最後の戦)で焼けてしまったのが 残念です。
その 痕跡も残ってる。
城主 加藤清正
永禄5年(1562年)6月24日尾張国(おわりのくに)生まれで、豊臣秀吉(とよとみひでよし)とは血縁関係にあり、双方の母親が従姉妹同士だったという説もあります。幼名を夜叉丸(やしゃまる)といい、9歳の頃から秀吉に仕え、元服してから加藤虎之助清正(かとうとらのすけきよまさ)を名乗りました。
それから → 細川忠利
加藤家が改易された後に肥後に入国したのが、豊前小倉城主細川忠利でした。祖父は当代一流の文化人として知られる細川家初代藤孝(ふじたか)別名幽斎(ゆうさい)、父は戦国武将忠興(ただおき)別名三斎(さんさい)母は明智光秀(あけちみつひで)の娘、玉(別名ガラシャ)です。
豊臣秀吉の 子 豊臣秀頼を迎えいれる部屋も用意されてた(復元)
かっこいいい いいい
外堀が凄い